2015年12月25日金曜日

新種の深海ザメ、その名も「Ninja」

世界のサメ学者から素敵なサメ情報のプレゼントが届きました。

アオザメに乗ってプレゼントを配る南半球のサンタが持ってきてくれたのは、コスタリカ産の深海ザメ(水深800~1300mほど)の一種として登録された「Ninja Lanternshark」(学名:Etmopterus benchleyi)。

デイリーメールでの記事

 英名の由来は、このカラスザメの仲間が、カウンターイルミネーションという自らを光らせて光の中に紛れ、敵を欺くという術を身につけていることから、こちらを発見されたVicky Vasquez(ビッキー・バスケス)氏が8歳のいとこへ、こんなサメがいると話したところ、

「まぁなんて面白い、まるで忍者ね!」と発言したことからこの名前になったそうです。

 和名はニンジャザメとなるのでしょうか? ニンジャカラスザメ、カラスニンジャ、カラステング、ニンジャガラス…。まぁどこかの水族館か偉い先生がいい和名を付けられるでしょう。

 さてこの「ニンジャザメ」、学名もまた面白いのです。
 属名という仲間のグループを示す部分はカラスザメ属なのですが、種を示す「種小名」の部分が、かの「Jaws」の原作者である「ピーター・ベンチュリー(Peter Bradford Benchley)」 の名にちなんだものだそうです。
 カラスザメは、ホホジロと似ても似つかぬぐらい小型で、大きくても50センチぐらいで色も黒一色の地味なサメです。
 なーんでか!

 ホホジロザメのようなサメはほっといても関心が向けられるのに対して、このようなニッチな深海ザメは、見過ごされがちで種の存在を知られる前にいなくなってしまうかもしれない、だからホホジロじゃないサメも知ってもらおう、という意図があるようです。

  クリスマスにちなんだ色とりどりのイルミネーションが夜の街を照らし、彩りを与える中、深海では今日も深海ザメが、光の届かぬ海で明滅しているのですな。光るといっても生きているうちで、死んだカラスザメをモミの木に吊るしても光りませんので悪しからず。

 ♪真っ黒からだのカラスザメさんは、いつも獲物に忍び寄り、暗い海ではピカピカの発光器が役に立つのさ!(♪赤鼻のトナカイで無理やり歌ってください)

 というわけでさっそくサメリストもおそらく今年最後の更新で、新種を追記しました。
 
 サメリスト(サメ全種500種類以上の一覧)

 新種の深海ザメ解説動画


2015年12月22日火曜日

子子子子子子子子子子子子子(ネコザメ)

表題は頓智のようなものです。お気になさらずに。

三重県伊勢志摩にある志摩マリンランドで、ネコザメが卵から孵化しその赤ちゃんが展示されているとのこと。

 ネコザメの子どもと卵

 4月に産卵された卵が無事に孵り、ちっちゃなネコザメを展示中だそうです。
 ネコザメのこどもは、棘が鋭く背ビレも大きめで大人と比べるといろいろデフォルメされてとてもかわいいものです。

 トラザメやナヌカザメがポンポコ卵を産むのに対して、ネコザメはあまりそういった傾向がない様子。ネコザメの卵は、まるでコンブがぐるぐると渦を巻いたようなドリル型で、母ザメはその卵を口にくわえて岩場にねじ込むそうです。

 流されたり他の生き物に襲われない様にとの親ザメの愛情を感じます。

 志摩マリンランドではこういった小ザメの展示を見られることが多く、他館で常設する展示があまりないゆえに貴重なものとなっています。
  日本では唯一飼育されている、ハナカケトラザメという種類もこちらで見ることができます。(しかしながらと日本である施設が入手したとの情報も…リサーチ中)
 以前はマンボウとサメとの混泳が見られましたが、今はやっていないようです。

 ドチザメを下からのぞける水槽やなんかもありますし、意外と楽しめる要素の多い隠れスポットです。伊勢志摩方面にお越しの際は、ぜひこちらへ。

 サメのいる水族館

 また年明け一月中ごろまで、鳥羽にある「海の博物館」で、「サメはこわい?おいしい?役に立つ?」という特別展も開催していますので、そちらへもあわせてどうぞ。


題名の答えは「ネコの子、子ネコ、獅子の子、子獅子」という平安時代の言葉遊びです。

「孑孑孑孑孑孑孑孑孑孑孑孑」←これは読めますかな? ヒント:夏場の水がめ

答えは「ぼうふらぼうふらぼうふらぼうふらぼうふらぼうふら

2015年12月15日火曜日

アパレルサメグッズ(超上級者向け)

 世にサメファッションというものがあるならば、それはサメの形をあしらったデザインの既製服などでしょうか。

 サメの模様が描かれた服などは、明らかにサメ好きのアピールにはもってこいでしょう。

 ジョーズの描かれたTシャツや、サメの絵柄の入ったワンピースなど、マイナーながらもしっかりとサメが描かれたものはサメ好きのハートを射抜く魅力があるに違いありません。

 しかし、私のような隠れサメファン(サメ好きを見た目であまり押し出さないタイプのサメ好き) は、ワンポイントの図柄など控えめなものが好みです。

 年に数回しか服を買わないようなイケてないオタク、もとい地味な私ですが、そんな私にぴったりの、控えめなサメシャツを見つけました。

 
有名大手アパレルより製品化

 ? ? ?
  
 どこがサメやねん!」と思われたあなたは正しい。
  どうみてもサメにつながるようなシンボルなどないように見えるこのシャツ。むしろ後ろでチラ見するサメの方に目が行くでしょう。あれはカレンダーです。
 ではなくて、よーく見ると白い粒のようなものが描かれています。



 いわゆる「ペイズリー柄」と呼ばれるこの勾玉模様。私には、あるサメの歯を連想させるのです。
世界で二番目に大きい魚類、プランクトン食で、ワシントン条約付属書Ⅱ類で、学名を“Cetorhinus maximus”と呼ばれるあのサメです。


  もったいぶりましたが、そう「ウバザメ」です。

 元より歯のないサメ扱いされるウバザメの、よりにもよってその歯が描かれているように見える私は、お察しください、重症患者です。


 たまに服を買いに行くだけでこれですから日常生活に支障の出るレベルでサメに毒されているといってもいいでしょう。ご愁傷様です。


 ちなみにこのシャツ、私の中ではかなり派手な部類です。ゆえにあまり似合わないのです。

同じサメ模様なら、鮫小紋の方が似合うようなヒトです。


 むしろ、「それってウバザメの歯をモチーフにしてる柄に見える!」などと面と向かって言われてしまっては私の立つ瀬がないのです。面倒臭いお人ですね、本当に。

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 ウバザメの歯の拡大図(CNN) ビデオではなく中段の写真に注目
 
アクアワールド大洗の剥製は、歯もきちんと再現されています。

2015年12月10日木曜日

サメの歯と矢じりの関係 和歌山県立博物館でみた石鏃

先日、和歌山市へ行った時のこと。

 和歌山城と和歌山県立博物館(私がよく行く「和歌山県立自然博物館」ではない方の博物館)を訪れました。

 和歌山城は、紀伊藩の藩主が住まう御三家のお城らしく、市の中心部ながら小高い丘に建つ立派な城郭です。現在の天守や櫓は戦時に焼失したものをあらためて復元したものです。




 その和歌山城の南側に道路を挟んで現代建築の建物が居並び立ちます。
  それが和歌山県立博物館と和歌山県立近代美術館です。

 美術館の方は、美術の心得のない私にはあまり縁がありません。
 実は博物館で催されている「企画展 鯨とり -太地の古式捕鯨-」を見に参ったのです。(現在は終了しています)



 そしてミュージアムトークと称して学芸員による展示解説がうかがえるというので、その機会を狙って訪れました。

 展示されている捕鯨の由来を示す古文書や、絵巻物に見られる実際の捕鯨の様子など、「いさな(勇魚)」と呼ばれていたクジラとのサシの命のやり取りがパノラマで見られました。
 クジラを絵で紹介する巻物の中に、いらぎ(アオザメ)や、かせぶか(シュモクザメ)の描写もありました。(ようやくサメが出てきましたね!)

 海外から指弾を受ける現代捕鯨ではありますが、組織だった古式捕鯨の始まった江戸初期に紀州では三か所の鯨組があったそうです。
 太地はその中でも大名お抱えではない唯一の組織で、特に優れたチームワークを発揮したそうです。このあたりの由来や矜持を知れば、捕鯨というものに特別な思いを抱かざるを得ません。

 しかしまことに残念ながら、明治期の米露の近代捕鯨の台頭によって鯨類を激減させられた日本近海でその活路を失い、さらに「大背美流れ(おおせみながれ)」という捕鯨史上最悪の災禍に見舞われ、 古式捕鯨は歴史の幕を閉じます。
 この災禍をあるブログで知り、歴史小説で読み進めるうちに古式捕鯨に大変興味を持ったのです。

 当日は熱心な見学者が10数名来られ、学芸員の方と質疑応答をされていました。解説トーク後は、私は予備知識も少ないので展示を丹念に見ることに努めました。

 一通り展示を見た後、その裏側に当たる場所で常設の和歌山県下の遺跡などの発掘品も展示されていたので、余力のあるうちに見学しました。本来の県立博物館の展示群は、発掘した遺跡や古文書などによる生活様式や文化の紹介です。

 すると縄文期の生活を示す発掘品のなかに、田辺市の高山寺貝塚のものがあり、なんとそこにはシカやイノシシの骨に混じって「アオザメの脊椎」があったのです。つまり狩猟や漁労を営み、捕れたアオザメを食べていたということです。

  
弥生時代のものとされるサメの椎骨(海の博物館 サメ展での展示)

 サメの歯は化石になるといいますが、脊椎も石灰化が進んでいますので大型のものはこのように形を残すようです。

 そして同じようにサメの歯も展示してあると思って眺めておりましたが、それはサメの歯によく似た「石鏃(せきぞく)」、つまり矢じりだったのです。
 まるでアオザメの歯のような形状をした石片が無数ありました。

 これはアオザメの歯を加工したものでなく、それに似せたもので鋭い矢じりとして用をなしていたようです。ニカワで矢竹の先端に固定して使うことが多かったようです。海幸彦山幸彦のお話がこのような海と山の混在からも推し量れます。

 調べてみますと、吉野ヶ里遺跡ではサメの歯から加工した矢じりが見つかったほか、岡山の遺跡でもサメの脊椎が装飾品として見つかり、 さらに大阪の遺跡でもこの「サメの歯型」石鏃は出土されたそうです。

佐賀県高志神社遺跡
岡山県彦崎貝塚(個人サイト)
大阪府大和川今池遺跡

 私は決してサメ目当てにこちらへは訪れませんでしたが、結果としてサメに誘われてしまいました。それぐらいサメはありふれたものである、と思えばどうということはありません。

 私たちが今ファッションとしてサメの歯を身につけるのは、こうして海に関わってきた古代人の記憶の断片を照射しているにすぎないのでしょう。

 惜しむらくは、私たちは古代ほどに海の恵みへ感謝の念を抱かず、サメも食材として縁遠くなってしまったことです。
 縄文人はサメをどう食べていたのか、そこまでは解説されていませんでしたが、大きな獲物だったであろうアオザメは、胃袋を満たし、装飾品や武器として生活を充足させる価値を持った生き物であったに違いありません。

 現代人は、果たしてサメという生き物に価値を認めているかどうか。
 鳥羽の海の博物館で、田中彰先生が語った「キーストーン種」という頂点捕食者を指す言葉がサメを見るにあたって優れた視点のひとつであると思えます。

 この話はいずれまた…。